茶道 表千家 日本文化を学ぶ

十一代 碌々斎 瑞翁宗左

十一代 碌々斎(ろくろくさい) 瑞翁宗左(ずいおうそうさ)1837-1910

<%%>

 

 

吸江斎の嫡男で不審庵十一代を継ぎましたが、まもなく明治維新を迎え、江岑以来の南紀徳川家への出仕もなくなり、一般の茶道に対する関心も薄れてきて、最も茶の湯が衰弱した時代でした。

 

けれども、碌々斎は家を守り、苦難の時代を切り抜けました。

 

明治13年1月には北野天満宮で献茶、同じく10月に北野御旅所の献茶も始まり、これは現在も続いています。
山口の萩、長崎、下関、広島など各地へ赴き、広い範囲に茶道の普及に努めました。
宮島の籠花入れや地方の窯で造られた好みなど各地の道具が使われるようになりました。

 

明治20年には明治天皇が京都御所に行幸され、陛下にお茶を献上しました。

 

碌々斎の好み物は比較的地味な詫びたものが多いのですが、安政2年に好まれた既望棗(十六個)のような豪華なものもあります。

 

自作の茶杓は、若年の頃は先の丸いものですが、後年には如心斎に似た先の尖った形になっています。

 

明治43年1月7日没 享年74歳

 


茶道 ブログランキングへ

 

 

 

 

 

碌々斎の好み

 

手付置籠

 

 

 

 

既望棗

 

<%%>
⇒碌々斎好写 既望棗詳細ページへ



ホーム RSS購読 サイトマップ
ホーム 表千家 茶道の歴史