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九代 了々斎 曠叔宗左

九代 了々斎(りょうりょうさい) 曠叔宗左

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久田宗渓の長男で?啄斎の養子となり不審庵九代を継ぎました。

 

南紀徳川への出仕も続き西濱御殿内に寛際庵という小間を好み※御庭焼の好みを造りました。

 

このころになると、茶事の仕方や点前の様式も現在とほとんど同じ形に落ち着いてきます。

 

了々斎が出仕した治宝公(はるとみこう)は利休の茶道の皆伝を受けたほど、茶の真髄を求めました。次代の吸江斎が若くして代を継いだため、治宝公より皆伝を受けられたほどです。

 

文政元年には治宝公の江戸出勤に従い、嘉祥の祝儀に出仕した了々斎は、拝領の片木を用いて※打合盆(うちあわせぼん)作ることがありました。

 

文政5年には治宝公、大政所様を迎える茶事を家元で催しました。
家元の表門は治宝公を迎えたあと拝領して建立、のちに大政所様を迎えたそうです。

 

一行物や手造茶碗、自作茶杓も数多く、好み物としての小真塗手桶や?啄斎好みの鉄道安風炉に合わせて好まれた※姥口刷毛目釜(うばくちはけめがま)などは代表的なものです。

 

 

文政8年8月7日没 享年51歳

 

 

※御庭焼(おにわやき)・・・江戸時代、大名・貴顕などが自分の趣向に合わせて居城や藩邸の内に窯を築き焼成した陶磁器。
紀州の偕楽園焼,水戸の後楽園焼,尾張の御深井(おふけ)焼,備前の後楽園焼などがある。

 

※打合盆(うちあわせぼん)・・・大小の折敷(おしき)を裏表に張り合わせ朱塗りにして好まれた干菓子器。 粘りのある漆 を使い刷毛目を残して塗っています

 

※姥口刷毛目釜(うばくちはけめがま)・・・釜の肩より口縁のほうが落ち込んでいます。
歯の抜けた老女が口を結んだ形に似ているところからの「姥口」という名前がついたそうです。面白いことを思いつくんですね〜♪
確かに歯が抜けてしまうと唇が落ち込んでしまいますよね。

 


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了々斎の好み

 

姥口刷毛目釜(うばくちはけめがま)

 

 

 

 

小真塗手桶

 



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