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八代 ?啄斎(そつたくさい)件翁宗左(けんおうそうさ)

如心斎の※嫡男で幼名を与太郎といい、8歳で父と死別し家元八代を継ぎました。
無学和尚より件翁の号を受けます。
14歳ではじめて茶事を催し家元継承のために必要な知識は叔父の一燈宗室や如心斎の高弟たちに助けられ熱心に勉学にいそしみました。

 

40代半ばの天明8年、京都で大火災にあい、家元も伝来道具を残し全てを失います。
しかし、すぐに復興を行い、翌年には今の建物に近い姿になって完成しました。

 

復興になった寛政元年の秋には利休二百年遠忌の茶事が営まれた際に、2百本の茶杓が残されました。このように、天明の大火後の復興が一年でできたことは、?啄斎の努力によるだけでなく、多数の社中をまとめあげ、如心斎が組織が機能し始めたところも大きな理由だと思われます。

 

?啄斎は復興した建物の一部に一畳台目で詫び茶の極みを示す最小の茶席である反古張り席を好みました。

 

また南紀徳川家初代から伝わる松の枯板を拝領して、その材で溜真塗丸卓・丸香台などの好み物が作られました。
残月のわきに7畳敷の座敷を好み、古来の稽古の気分を残しつつも大人数の社中を受け入れることにつとめました。

 

60歳で隠居して宗旦を名乗り、それ以来、隠居名を宗旦とする習わしになりました。

 

文化5年10月6日没 享年65歳

 

 

 

※嫡男(ちゃくなん)・・・親の後を次ぐ長男のこと。一般的に正室の長男。

 

 

?啄斎の好み

 

松ノ木溜塗丸卓(まつのきためぬりまるじょく)

 

溜 丸卓 ?啄斎好写

 

 

鉄の道安風炉(どうあんぶろ)

 

 

 


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