茶道 表千家 日本文化を学ぶ

三代 玄伯宗旦

三代 元伯宗旦(げんぱくそうたん)1578-1658

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幼名を修理(しゅり)といい、12〜13才のころに春屋和尚(大徳寺三玄院)のもとに預けれられ、
※喝食(かっしき)として修行しました。

 

利休の死後、大徳寺にとどまりましたが、父少庵が許されて京都に帰ると、宗旦も秀吉から
利休ゆかりの道具を返してもらい、千家再興を助けました。

 

 

若くして祖父利休の死に遭遇した宗旦は不審庵三代を継いだあとも大名からの誘いを断り、
士官をせず、清貧に甘んじて詫び茶を学びました。

 

しかし、東福門院(徳川秀忠の娘、後水尾天皇の中宮)、清巌和尚(大徳寺百七十世)、
鳳林和尚(金閣寺)本阿弥光悦などとの交わりも深く、その門人にはのちに茶の一派を開く人も
多く出ています。

 

 

71才の頃、不審庵を江しん宗左に譲り、敷地の北裏に隠居所今日庵を建て、四男宗室を連れて
隠居します。

 

長男 閑翁宗拙
次男 一翁宗守(武者小路千家)
三男 江しん宗左(表千家)
四男 仙そう宗室(裏千家)

 

宗旦には、一閑張りといった楽焼に好み物が多く、特に中国からの帰化人、飛来一閑
に作らせた一閑張りの道具は有名ですね。

 

万治元年12月19日没 享年81歳

 

※喝食(かっしき) 見習いの僧

 


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