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六月の掛け物

六月の掛け物

 

澗水湛如藍(かんすいたたえて藍のごとし)

 

 

擧。僧問大龍。色身敗壞。如何是堅固法身。
龍云。山花開似錦。澗水湛如藍。

 

挙(こ)す、僧、大龍に問う、色身は敗壊(はいえ)す、
いかなるか是れ堅固法身(けんごほっしん)。

 

りょういわく、山花開いて錦に似たり、
澗水(かんすい)湛えて藍のごとし。

 

 

 

 

意味

 

 

ある僧が「肉身は死ねばなくなるが、堅固なる法身とはどのようなものですか」と問うたのに対する、宋代の禅僧大龍智洪の応答。

 

眼前に広がる大自然の営みそのものが、常住不変なる法身の如来に他ならないの意。

 

 

                                  「茶席の禅語大辞典」より

 

 

 

谷川の水が満々て深く澄んだ藍色をしている。
一滴一滴、色の無い水が藍色に変わるまで満ち満ちて、
その変化する姿の中に不変の真理が宿っている。

 

水は無色だが満々と湛えた淵では深い藍のような色になる。
        変化の中に不変の真理が宿っていること。

 

 

 

形あるものは、いつか無くなり滅びます。
永遠に変わらない真理はあるのでしょうか?

 

 

中国宋代の禅僧、大龍智洪禅師に、修行僧が聞いた時の答えが

 

 

山花開似錦   さんか ひらいて にしきに にたり
澗水湛如藍   かんすい たたえて あいの ごとし

 

という、言葉でした。

 

自然を謳った詩ですが、禅としての意味はとても深いです。
先生もこのお軸を手に入れたのは40代だったそうですが、

 

あまりにも禅としての意味が深いので、まだ飾れずにいたそうです。

 

そして80歳の後半、やっと使うことができたとおっしゃっている。
それほど、深〜い禅語なんですねぇ。

 

 

澗水湛如藍

 

文字だけ見ていると、谷間の藍色の水が流れているという趣で、とても涼やかなので
7、8月にも掛け物として使われる禅語です。

 

 

 

さて、その意味ですが、

 

 

春が来て山に咲いた花は錦のように美しい。
しかし、時間が経てばその花も散ってしまう。

 

藍のように碧くたたえた澗(たに)の水も、ゆっくりとだが動いている。
あっという間に散る花と、動いていないようで動いている澗の水。
スピ−ドに差はあれど、どちらも変化し続けていることに違いはない。

 

 

 

その「変化」こそが堅個法身、永遠に変わらぬ真理だと大龍禅師は説きました。

 

 

なんとなく、分かるようで分からないのが禅語の醍醐味?!

 

 

ここからは私の解釈も入ってきます♪

 

 

花は咲き誇っているうちはきれいで人の目を惹きつけますね。
でも、ずっと咲き誇ることはできません。数日のうちに散ってしまいます。

 

だからこそ、花は美しい!って感じるのでしょう。

 

あっという間に散ってしまう存在でありながら、無心に精一杯咲く。
人はそこに真実を感じ取り、花を愛でるのかもしれません。

 

谷間の水も変わらない景色が続いているようで、刻々と水は流れて入れ替わっていきますね。
川底の小石も転がってまるく削れていきます。

 

人間に例えると、毎日の暮らしが平坦で同じことが続くということはなく、
明日の自分がどういう気持ちで過ごしているかなんて考えてもその時にならないうとわからないですよね?

 

だったら、明日のことを心配せずに、何枚花が散っても、石がどこまで転がろうとも
それを楽しむくらいの気構えで過ごしていこう!!

 

 

・・・っていう、なんだか究極のポジティブシンキングになってしまったのですが、いかがでしょうか?

 

 


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